戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。官兵衛(かんべえ)や如水(じょすい) の名でも広く知られる。播磨国の姫路に生まれ、20~30歳の頃、姫路城城主であった。
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豊臣秀頼、姫路藩本多忠刻の正室。父は2代将軍徳川秀忠、母は継室の江。20歳で再婚してから忠刻が亡くなり江戸城に戻るまでの約10年間、姫路に在住。
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姫路藩酒井家第2代藩主。のちに藩財政を立て直した河合寸翁を見いだして登用した。和歌、書画、能にたけ、大名茶人「宗雅(そうが)公」の名でも知られる。茶人で有名な、出雲松江藩主松平治郷(はるさと)(号:不昧)と親交を深めた。
姫路藩主、忠以の弟。俵屋宗達、尾形光琳と並んで琳派を代表する画人。江戸琳派の祖であり、高弟に鈴木其一(きいつ)(1796-1858)がいる。代表作は「夏秋草図屏風」(重要文化財、東京国立博物館所蔵)で、発注者は、11代将軍家斉の実父、一橋治済といわれている。
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姫路藩酒井家第4代藩主。2代藩主忠以の次男。正室の隆姫は黒田官兵衛の血筋を引いている。11代将軍家斉に謁見し、娘・喜代姫(きよひめ)と世子である忠学(ただのり)に配することを約束する。
姫路藩酒井家家老。第2代忠以~第5代忠学と50年余にわたって仕える。「姫路藩の中興の祖」とよばれ、財政再建に貢献。茶人でもあり和菓子にも造詣が深かった。「玉椿」を命名。
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11代徳川将軍。歴代将軍の中でも最も長い在任期間50年(1787- 1837)かつ、子だくさんでも有名な将軍。側室40人に子ども55人といわれている。
11代将軍徳川家斉の第25女。 15才の時に、譜代大名の姫路藩酒井家へ入輿。
播磨国姫路藩酒井家第5代藩主。忠実の養子となり家督をつぐ。正室に徳川家斉の娘・喜代姫を迎えた。